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砂糖も満足では無かった頃、しかし母が手作りしたケーキはうっとりするほど甘かった。
子供たちには、今すぐ食べられる袋入りの菓子も無ければ、近所にコンビニも、当然のごとく、ありはしない。
子供たちは空腹を抑えて、母の出してくれる1枚の皿をじっと待たねばならなかった。
いらいらするけれど、ワクワク、どきどきしながら待つ、その時間の豊かさはどうだろう。
真っ赤に実ったトマトにかぶりついた遠い夏の日の記憶。
キュウリも西瓜も、夏の食べ物だった。
真夏のかんかん照りの太陽の下で、塩だけで、それらは十分過ぎるほど美味しかった。
せいぜい井戸水で冷やすのが、最高のご馳走だった。
もともと食とは、季節季節の素材を、ゆっくりと手をかけて作り、味わうものではなかったのだろうか?
それが今や「何事も簡単に、スピーディに」の時代だ。それが絶対の価値観となりつつある。
しかし、そのことによって、私たちは何か大切な力を衰えさせていると思えてならない。
たとえば私たちの季節を感じる力。季節を愛でる気持ち。時間を楽しむゆとり。何かを考えて、自分で作り出す力。
食の仕事を通じて、私たちはそんな生きるためのささやかな力を、いのちの輝きを、
もう一度取り戻すことはできないだろうか?